宇佐見会

同人サークル「宇佐見会」はカードゲームの製作を中心に、グッズ製作や各種イベントの企画を行っている団体です。
ご不明な点がございましたら、こちらまでお気軽にメールくださいませ。
製作/企画:対戦カードゲーム「幻想萃符伝」 | ゲーム交流会「上方東方祭」
;

より適したcharacterに(3)

キャラクターについての話のつづきです。より適したcharacterに(1)(2)もあわせてどうぞ。
ちなみに、記事の順番がばらばらなのはライターがサボってるわけじゃなくて、単にそういう趣向だからです。……わかんにくいですかね?
----

気付いた方もいらっしゃるかもしれません。
その一つは、『2体ならともかく、3体、4体と複数場に出たとき、コイン投げをする順番はどのようにして決めるのか?』という混乱を引き起こす事です。
とはいっても、これはコイン投げではなく無作為に決めるとすれば、プレイ中の手順は煩雑ですが整理できなくもない欠点です。
カードにも混沌の掌握のようなカードはありますしね。

問題なのは、もう一つの方でした。
それは、『実際の運用を考えたら、旧レジェンドルールと大差が無い』という事です。
どういうことか、例を挙げて説明しましょう。
以下に述べる状況は全て、あなたのメインフェイズに起こっているものと考えてください。
------------------------------------------------------------------------------
<状況1>
あなたは平地と山と島をそれぞれ2つずつと《いたずらする妖精人形》以外のパーマネントをコントロールしておらず、手札には《永遠に紅き幼き月、レミリア・S》があります。
対戦相手は基本土地、《レミリア・スカーレット》、《人形の魔法陣纏い》以外のパーマネントをコントロールしておらず、手札はありません。
ライフはどちらも10以上で、あなたが若干勝っており、まだ決着の気配はありません。ライブラリーからも良いカードが引ける事を期待できます。
さて、この状況であなたは《永遠に紅き月、レミリア・S》をプレイするでしょうか?
<状況2>
あなたは4つの山と3つの沼以外のパーマネントをコントロールしておらず、手札には《永遠に紅き幼き月、レミリア・S》と《妖魔夜行》があります。
対戦相手は基本土地、《レミリア・スカーレット》以外のパーマネントをコントロールしておらず、手札はありません。
ライフはどちらも10以上で、あなたが若干負けていますが、まだ敗北を心配するほどでもありません。ライブラリーも良いカードを期待できます。
さて、この状況であなたはどう行動しますか?
<状況3>
あなたは6個の平地以外のパーマネントをコントロールしておらず、手札には《楽園の素敵な巫女、博霊霊夢》だけです。
対戦相手は基本土地、《博霊霊夢》、《軍隊の長槍持ち》以外のパーマネントをコントロールしておらず、手札は何枚もありますが土地だけと分かっています。
あなたのライフは5、対戦相手のライフは9で、除去は大体使い切り、ライブラリーから良いカードを引いてくる可能性は低いでしょう。
さて、この状況であなたが《楽園の素敵な巫女、博霊霊夢》をプレイしますか?
また、するとして、そのときの気持ちはどのようなものでしょうか?
------------------------------------------------------------------------------
状況1で《永遠に紅き幼き月、レミリア・S》をプレイする方は恐らく少数派ではないかと思います。
敗北の恐れが無いならば、6マナと1枚が無駄になる可能性があるコイン投げの賭けを取るよりも、少々のダメージを覚悟して除去などを引く事にかけるほうがプレイングとしては手堅いでしょう
状況2では、普通なら《妖魔夜行》打ってから《永遠に紅き幼き月、レミリア・S》を出しますよね。
わざわざ除去があるこの状況でコイン投げに行くというのは接待プレイとしか言いようがありません。
状況3は流石に《楽園の素敵な巫女、博霊霊夢》をプレイしコイン投げに賭けざるを得ないわけです。そのときの気持ちは人それぞれだとは思いますが、当時の私たちや、外部のテストプレイヤーの方々(別の第1弾スタッフの方の人脈なので現在はその人たちにはテストプレイを頼んではいないはずです)には、コイン投げに勝った時の喜びよりも、負けた時の落胆やコイン投げに頼らなければいけない状況の不安さが勝る人が多かったようです。

コイン投げルールは普通にプレイングしようとすれば、極端に追い込まれたときを除いて旧レジェンドと使われ方が変わりない、つまり問題点がほとんど解決されておらず、このままではプレイ時のストレス要素になってしまうだろうと考え直しました。
と言う訳で、またしても、蹴られた過去の案をほじくり返して、再提案するというウザい事この上ない行為をすることになったのです。
しかも、タイムスタンプではなく「自分でどれを残すか選べる」ように便利さを上方修正させた状態で。
勿論、上述のとおり旧レジェンドルールに疑問を抱いていないスタッフ・同じキャラクターが2体存在する事がどうしても納得行かないスタッフもいらっしゃったわけですので、説得はかなり時間がかかりました。
そのような方には何度も説得を試み、今のキャラクタールールで行く事を少々強引ながら納得させたのです。
こうして、割と入稿が迫ってきた時期にキャラクタールールはようやくその形を完成させたのでした。

以上、当時のチャットログと自らの記憶を頼りに、私の視点から見たキャラクタールール形成の過程・如何に私が我侭を貫き通したのかを語らせていただきました。
長文にお付き合いいただきありがとうございました。
私としては未熟ながらも当時の出来る限りの最善と独善を尽くしたつもりですが、皆様のキャラクタールールに対する印象はどのようなものでしょうか?
あなたのお気に入りのキャラクターが、あなたのデッキの中で存分にその力を発揮して活躍する事を願ってます。

六道語~地獄道~

幻想回向、No70、残酷な裁判官/Cruel Judge

残酷な裁判官

六道の話をしましょう。
六道はその名の通り六つに分けられていますが、その中でも最下層に位置するとされるのが地獄道です。いわゆる「地獄」と言えば通りがいいでしょう。
その地獄道を見守るのが彼女、黒の裁判官です。

残酷という、裁判官に有るまじき形容をされてしまっている彼女。しかし、彼女の立場はそんな一言で表されるような物ではありません。
そもそも地獄道というのは、閻魔による裁判でもっとも罪が重いとされた者が落とされてしまう道です。最近はスリム化が進んでいるそうですが、それでも人々にとって恐ろしい場所であることには変わりありません。人は(妖も)地獄に落ちる事を避けるために生きているといっても過言ではないでしょう。
それでも、人々は地獄道に落ちるに値する罪を犯します。耐え難い事の筈なのに、絶えることなく。それは、人を見守り裁くことが仕事の閻魔にとってはとても悲しい事です。地獄道そのものを見守る彼女にとってはなおの事。
彼女だって、彼らを地獄道に落としたくなんてありません。地獄道で苦しむ人々を見る事は、誰だって嫌なのです。
ですが、彼女が裁きの手を緩める事はありません。なぜなら、地獄に落ちなくなっては人は地獄を恐れなくなってしまうから。適度な恐怖こそが、人が上を目指すための唯一の術だから。
だからこそ、彼女は無慈悲な裁きを続けるのです。たとえ残酷と罵られようとも。

より適したcharacterに(2)

「同じカードを何枚も引くという限定的過ぎる状況を前提とした能力なんて発揮する機会がなさ過ぎて、わざわざ能力にする意味が無い」という理由により却下されたのです。
最も重要な部分は壮大ではなく「複数のキャラクターカードを作れる事と、同一キャラの残り方」だったのですが、当時の私の説明の仕方が悪く、壮大の能力がメインであるような印象を与える書き方であったため、議論もその方向で進んでしまったため、このような批判も仕方が無い事でした。
かくして、キャラクターのルールは、私1人が空回りしただけで終わるかのように思えたのですが、このルール、思わぬところで復活の機会を得ます。

その切欠は宣言の能力がセットに採用されることが決定した事でした。
宣言という能力の提案そのものはもっと前から、それこそ幻想萃符伝製作委員会が起こった当初からあったのですが、それが正式に採用される事になり、能力の内容を詰めていたとき、一つの問題が上がったのです。
『該当するキャラクターをコントロールしている場合に効果を持つ宣言だが、その「該当するキャラクターをコントロールしている」という判定は何を見て行うのか?』というものです。
クリーチャータイプにキャラの名前を入れるとか、遊戯王式に「名前に~と入っているクリーチャーをコントロールしている場合」といった形で行うのか、など意見は出ますが誰もが納得するような決定打は現れません。
そんな時、総スカン食らったにもかかわらずキャラクターのルールに未練たらたらだった私はひらめいたのです。
「これは、キャラクター復活のチャンスなのでは?」と
すかさず、以下の様な形でキャラクタールールの再提案をしました。
・キャラクターのクリーチャーはキャラクター(キャラ名)という能力を持つようにする
・宣言でキャラクターを参照する場合、(キャラ名)の部分を参照するようにすれば良い。
・キャラクター自体の能力は以前キャラクタールールのうち『キャラクターを持つクリーチャーが自分のコントロール下で場に出たとき、既に自分が共通のキャラ名を持つクリーチャーをコントロールしていた場合、タイムスタンプで先に出ていた方を生贄に捧げる。』の部分だけとする
今振り返ると、満場一致でボツになった案を何度も持ってくるなんて、我ながらなんというウザい行為なのでしょうw
ともかく、この提案は全員に受け入れられ、キャラクタールールは見事『限定的に』復活することが出来たのです。
限定的というのは、大枠としては受け入れられたこの案なのですが、一部分だけ賛否両論となった部分があったのでした。
それは『キャラクターを持つクリーチャーが自分のコントロール下で場に出たとき、既に自分が共通のキャラ名を持つクリーチャーをコントロールしていた場合、タイムスタンプで先に出ていた方を生贄に捧げる。』という、伝説性に関わる部分です。

幻想萃符伝製作委員会のスタッフのMTG歴もバラつきがありまして、旧レジェンドルールに慣れきった方とっては、「新しい方が生き残る」とか「プレイヤーが違えば、同じキャラクターはコントロールしていてもOK」という状況は受け入れがたいものがあったようです。
再び、最初の地点に戻ってキャラクターの残り方をどうするかで終わり無い議論を繰り広げる事になったのです。
そして多数決の結果、終着点として行き着いた先はなんと「同じキャラクターが2体場に存在するときは、コイン投げでどっちが残るか決める」というものだったのです。
場に出してもコインの結果次第で後に出した方にもチャンスはあり、場に1体だけという状況も維持できるという「一見しただけなら平等性があるように見える」ルールは、皆の意見の妥協点として受け入れられ、とりあえずは議論も決着し、このルールで進めることになったのでした。

ココを読んで下さっている方々には驚かれている方も多いと思われます。
その不安の示すとおり、いくら酷いカードを多く世に出したセンスの無い私たちでも、カード内容もある程度決まってテストプレイを重ねていけば流石に気づいたのです。
この「コイン投げ」ルールには2つの大きな欠点があるのだということに。

(続く)

より適したcharacterに(1)

突然ですが、お初にお目にかかります。
元スタッフだったものです。
具体的には、第1弾で主にカードの考案と調整に携わっていました。

そうです。
第1弾の変に惨いカードを沢山作り出してしまったと悪名高き例のスタッフです。
多色霊夢の能力は、本来もっとプレイするためのコストが重かったのを「起動するためのコストがイメージに合わない」という理由で手札を捨てる事に変更させることを「それでバランスが取れると思うなら良いよ」と許可してしまったのも、
赤魔理沙は「これはやめた方がいいんじゃない?」と対案も提示しながら主張したものの押し切れなかったのも
3マナ幽々子様の復活に必要なクリーチャー・カードは2枚として案を提出したはずなのにいつの間にか1枚になっていた事に気づかなかったのも
陽光の先駆けが「まさかこの便利なクリーチャーが2マナなワケないよねー」とずーっと3マナだと思い込んでいたのも
単色咲夜さんは、一番最初に私がカードデザインを提出してから、ずーっとホンの少しの修正もかからなかったのも
全ては私がやりました。
遊んでくれてる皆様には本当にご迷惑をおかけしました。

話は変わりまして、私がなぜこんなところでキーボードを取っているのかと言いますと。
現在、現スタッフの方がカード1枚1枚についての背景を解説するコラムを連載されていますね。
ですが、過去のブログからも分かるとおり第1弾と第2弾以降ではスタッフが名目上半分近く違うため、第1弾のカードについては現スタッフではコラムで触れることはできないのです。
(厳密には全く出来ないわけではないんですけどね。第1弾にも現スタッフの方が考えたカードはいくらか存在します。陽光の先駆けとか)
私は第1弾の制作終了と同時に、自分には荷が重過ぎるということで脱退させていただきました。
とは言え、脱退した後も現スタッフの方ともたまにお話させてもらったりしていました。
その際に、上の事情から「ちょっと協力してくれないか?」と要請され、時間があるときに文章とかを少しだけお手伝いさせていただくことになりました。
とは言っても、私はスタッフとして戻るわけではありません。
エラッタとか新弾の内容に関わる事はないでしょうし「萃符伝の味が急に変わった」などという事は起こらないと思いますので、そこはご安心下さい。
今後、ごく稀にこうやって文責を担当させていただく事もあると思いますので、よろしくお願いいたします。

今回は最初のコラムでありながら思い切り趣向をぶっちぎりまして、「キャラクター」の能力の形成過程についてお話させていただきたいと思います。
このサークルが結成された当初(大体、神河~ラブニカ期)から、「同じキャラクターが場に何体も存在するのはおかしい」というのが統一見解でした。
しかし、現行の伝説と同様の対消滅にするのか、旧レジェンドルールを適用するのか、後に出した方が残る独自のレジェンドルールを作るのか、など意見は分かれ、なかなか議論はまとまりません。
そんな中、私が提案したのが、現在のキャラクタールールの原型にあたるものです。

どういう発想の元で、このルールを考えたのかを説明しましょう。
私は、個性的な東方の住人をMTGに落とし込む以上、キャラクターがゲームの中心・主役に来なければいけないと考えていました。
そのため、旧レジェンドルールのままでは、かつて本家のサイトのコラムでも語られていたとおり、主役を張る存在としては運の要素による有利不利の差が強くなりすぎてしまいます。
だからといって、対消滅ではキャラクターが消えやすく、活躍しづらい存在になってしまうと思ったのです。
そのため、どちらも萃符伝には不適当と考えていました。
本家のように、まずゲームが先行したものであれば対消滅もゲームの面白さとして受け入れられるのですが、萃符伝は世界観が先行したもの、つまり「キャラゲー」である以上、そう簡単にカードの効果以外のルールで主役を殺させるわけにはいかない、というわけです。

そこで私が参考にしようとしたのはMTGとは違う別のTCGでした。
知っている限りのTCGのルールから、重要なキャラクターはどのように扱われているのかを見て、より萃符伝に相応しいルールを作る参考としようとしたのです。
そして私が目をつけたのは「VS.system」の「ユニーク」というルールでした。(リンク先はPDFです)
「VS.system」とは、アメコミを題材とした海外製のTCGであり、そのルール構成は世界観の再現と公平性においてよく考えられており、ゲームとして深く、キャラゲーとしても優れた素晴らしいものでした。
一時期はホビージャパン社から日本語版も発売されていたので、知っている方もいらっしゃるかもしれません。
残念ながらこのTCGは今年の1月を持って開発が終了してしまったのですが……

それはともかく、この「ユニーク」のルールを参考にして、ココから以下の要素をMTGに落とし込むことを考えました。
・1人のキャラにつき複数種類のカードを作れる
・なおかつキャラクターは一人だけしかコントロールできないという状況を保てる
・しかし、別のプレイヤーがそれぞれ同じ名前のキャラクターを1体ずつコントロールするのはOKなため、キャラクターを先に引いた、後に引いたというような運の要素による極端な有利さ(または不利さ)が発生しない
・コントロールできるのは1体だけでも、手札の同名キャラで場のキャラを強化できるので、同じキャラクターのカードが何枚も来ても腐らない

以上の要素をキャラクターまわりのルールに適用すれば、旧レジェンドルールのように手札にレジェンドを溜め込んで不快な思いをすることも無く、現行レジェンドルールよりも萃符伝のゲームに適合した、理想的なルールになるのではないかと思ったのです。
そして、最初は以下のようにルールを設定し、提案しました。
・「キャラクター(キャラ名)― 能力」という風に記述される
・キャラクターを持つクリーチャーが自分のコントロール下で場に出たとき、既に自分が共通のキャラ名を持つクリーチャーをコントロールしていた場合、タイムスタンプで先に出ていた方を生贄に捧げる。
・手札から共通のキャラクターをもつクリーチャー・カードを捨てることで「キャラクター(キャラ名)― 能力」の『能力』に書かれた能力をプレイできる。
当時と記述は違いますが、要点はこんな感じです。
このままだと、違うプレイヤーが同じキャラクターをコントロールすることにより、同じキャラクターが2体並ぶ状況は発生してしまいますが、それは格闘ゲームの同キャラ対戦と同じく、ゲームのバランス上仕方が無い点だと考えました。

真ん中の部分は今のキャラクターのルールとほとんど同様ですが、提案した当初はそれに加えて、複数枚同じキャラクターを引いても腐らないようにするために、丁度本家の「壮大」とほぼ同じ能力を持っていたのです。
キャラクターを参考にする方が、バージョン違いのカードを捨ててもプレイできるので能力をプレイしやすい辺り、こちらの方が条件は緩いですね。
これを考えた当初はディセンション発売前だったのですが、後に未来予知で壮大持ちのレジェンドが出たときは、それはそれは驚いたものです。
あらかじめ言っておきますと、ココでこういう事を言ったからといって、いや、ココで言ったからこそ、今後この効果が搭載される事は恐らく無いでしょう。
「キャラクターを何枚入れるかというジレンマによって、キャラクターを中心としてデッキ構築を考えさせる」という方針だそうですよ。

この壮大能力を与えようとした理由を説明しましょう。
参考にしたVS.systemのユニークの方では、同じ名前のキャラクターのカードを捨てると1回の戦闘の間、そのキャラクターのATKとDEF(MTGで言うところのパワーとタフネス)を+1/+1するという機能があったのです。
しかし、これをそのまま持って来て「共通のキャラクターを持つカードを手札から捨てる事で、ターン終了時まで+1/+1の修正を得る」と一括りにしても、戦闘を積極的に行わないキャラクターも作られるでしょうから、そういったキャラクターにとっては死に能力になってしまうだろう、と思ったのです。
それなら「カードごとに自分の能力に合った効果を発動して貰った方が、能力も複数枚引いてしまったキャラクターカードも死に難い」と考えた結果、キャラクターに壮大能力を搭載することしました。
今考えてみれば、再生とかターン終了時に場に戻るとか言った除去耐性を与える効果で一括りにしても良かったかもしれませんね。

そして、満を持して、かなり自信を持って、このキャラクターのルールを提案したのですが、その反応は私の期待と予想とは裏腹に、一人の賛同も得ることはできませんでした。
(続く)

俺たちのライフスプリングインフィニティはこれからだ!

タイトルはホッテントリメーカでつくりました。

輝夜の神宝シリーズを「ジレンマ」って切り口から解説してるわけだけど、なんだかもぞもぞしておさまりが悪い。なんでかなーと考えてみたら、輝夜の話がさっぱり出てこないからだ。
こりゃいかんとあわてて資料を掘り出してみると、フレーバーテキストに採用されなかった駄文がいくつか見つかった。そういえば、神宝シリーズは――当初の予定では――知的でかっちょいい、エスプリの効いたフレーバーが追加されるはずだったのだ。結局フレーバーを入れるスペースがなくて、ぜんぶボツになっちゃったわけ。
今日の背景設定は、そのなかからひとつ選んでごまかす紹介することにする。ほかのはまた気が向いたら。

随喜信仰、No54、神宝「ライフスプリングインフィニティ」/Divine Treasure ''Life Spring Infinity''
Divine Treasure Life Spring Infinity.full


こいつは当初のイメージとしては、手札と場の境界線上に配置されてて、プレイヤーがクリーチャー呪文をプレイするたび、上空を通過する生命の息吹が泉に影響して新しい生命を生み出す、ってなイメージだった。天使が魂を運んでくるみたいなもんさね。ツバメの子安貝は安産のお守りらしいんで、んじゃ出てくるのは人間トークンでいいかな。ぽこぽこ産まれてくるのも妖怪からみた人間のイメージに合致してる。
そんで、そこまで考えてから書いたフレーバーがこれ。

「零は一を、一は二を、二は三を産む。そして、三は零になる」「4進数ですか?」「あなたたちの話よ」 ――削除されたフレーバー

いまから見直すと恥ずかしいね。ニュアンスが伝わりにくいし、第一だれとだれの会話なのかがよくわからない(永琳と鈴仙の会話なんだけど)。
四進数という発想はいかにも優等生的でまじめな鈴仙らしいけど、これはむしろ道教、タオイズムの話。道(0)が1を産み、1が2を産み、2が3を産んで世界が出来上がったという素晴らしく抽象的な創造神話のことだ。
ここで永琳が「あなたたちの話」と言っているのは、生物が次々と産まれ、死んでいく様子のことで、もちろん蓬莱人となった自分や輝夜との対比になっている。

ところで、成長を捨てて永遠の少女であることを選んだ輝夜が、母性の象徴である安産祈願を求めるなんて、なかなかの皮肉だと思わない?

六道語~承前~

幻想回向、裁判官サイクル

口うるさい裁判官気難しい裁判官残酷な裁判官激怒する裁判官大らかな裁判官


六道の話をしましょう。
六道って何かって? 全ての生命が輪廻する、六つの世界の事です。仏教の思想ですね。
その六道を見守り裁くのが、閻魔たちです。

え、閻魔は映姫様だろうって? 彼女は「最高裁判長」。その下を補佐する裁判官達もまた、閻魔なのです(と、いう事にして置いてください)。
お手元に幻想郷縁起をお持ちの方は、ちょっと閻魔の項を見てみてください。ちゃんと「裁判官以上が閻魔」だって書いてありますよ。
もっとも、閻魔閻魔と言ってはいますが、彼女たちは元はお地蔵さんで、元々の閻魔とは違うんですが(でも、お地蔵様=閻魔だって信仰は本当にあるそうです。うーん、奥が深い)

ええと、何の話でしたっけ。そう、六道を見守り裁く閻魔、まででした。
裁くはともかく、なんで六道を見守るんだ? と思った人もいるかもしれません。説明しましょう。
さっき、閻魔と言っても元はお地蔵さんで……と言いましたが、お地蔵さんと六という数字の取り合わせ、どこかで見た事がありませんか?
中には映像で浮かぶ人もいるかもしれません。そう、六地蔵です。
実はこれ、あながち偶然の符合でもありません。六地蔵は、それぞれが六道に対応し、それぞれの世界を見守り、救う、とされているのです。
そして、お地蔵さんはすなわち閻魔。つまり、見守った衆生をその死後には裁く、というわけです。
実に合理的なシステムですね。

今回は総論の話でした。次回から、カードと六道を1枚ずつピックアップしてお送りします。
……サイクルは5枚しかないじゃないかって? それは、最終回になってのお楽しみ、という事で。

ある、ありふれた小景

幻想回向、No72、弱り目に祟り目/Pairs of Misfortunes

弱り目に祟り目


怪我をしただけでも災難なのに、本まで吹き飛ばされてしまうパチュリー。
妹様が外に興味を持ってからというもの、彼女の周りでこうでない日はもう数えるほどしかありません。
これというのも、あの白黒がやってきてから。彼女が来てからというもの、パチュリーの周りは何もかもが動き出してしまったのです。

でも、それでいいのかもしれません。
時は止まれば澱む物。メイド長はよく止めてしまいますが、本来それは流れるべき物。
彼女の周りの時は、物語は、今まさに流転し始めたばかり。
ですから、それは喜ぶべき物なのかもしれません。

そんな思いを抱いていたら、爆風に吹き飛ばされてしまいました。
物語は彼女の都合なんて待ってくれない様子。ぐずぐずしてたら置いていかれてしまいます。
そして、今日「も」彼女はつぶやくのです。


今日は厄日だわ! -知識と日陰の少女、パチュリー・ノーレッジ

博麗神社境内に鈴蘭畑を作るメディスンが登場するSS→それって、畑も井戸も全滅するんじゃね?霊夢やばくね?という疑問

随喜信仰、No86、無名の丘/Nameless Hill
Nameless Hill.full


見渡す限りに鈴蘭の咲く丘。鈴蘭の根や花に毒が含まれるのはよく知られていますが、幻想郷の鈴蘭は花粉まで毒を持つようです。
いまでこそ風光明媚なこの場所も、かつては口減らしのために捨てられる子供達のための場所であり、そのうちのいくらかが妖怪を新しい親に迎える場所でもありました。
沢山の生と死を見てきた鈴蘭も、いずれは枯れて土に還り、新たな性を育む揺り籠となります。輪廻転生、まさに「課題の見いだされる庭園」。

と、雄大な歳月の流れに浸っているところ申し訳ないんですが……鈴蘭の毒って枯れたら流出しません?というのがこのカードのコンセプト。
「コンパロ」ことコンバラトキシンは水溶性なので、雨に溶けて地下水となり、周りの土地に流れこみます。コンバラトキシンがどのくらいの期間で変質するか、という資料は残念ながら見つからなかったのですが、化学式を見る限りそんなに早く無毒化はしないようです。
なにより恐ろしいのが、コンパロの毒は動物にしか効かないこと。たとえ、畑に汚染された地下水が流れ込んできても野菜はすくすく生長しますから、汚染されたかどうかは食べてみるまで分かりません。
ブラウンフィールドに住むわけにもいきませんから→こうして、博麗神社や紅魔館がただの平地や山に変わるわけです。

全部で5つのジレンマ(2):How long will you reject the enchanting artifacts?

随喜信仰、No51 神宝「ブリリアントドラゴンバレッタ」/Divine Treasure ''Brilliant Dragon Bullet''

Divine Treasure Brilliant Dragon Bullet.full

龍の頸の玉。荘子に見える「黒龍のあごの玉」の話を元に、竹取物語の作者が創作したもの。「竜の頷の珠を取る」ということわざがある。ちなみに、奈良の正倉院に「五色龍歯」という名の石薬が収蔵されているが、これもモチーフとなったと思われる。
大納言大伴御行に出題されたのは、いわゆる「繰り返し型囚人のジレンマ」。羹に懲りて膾を吹くのか、火中の栗に手を伸ばすのか。
荘子は「宋王は怒らせるとマジ怖いから、褒美を求めに行くのは愚かだ」と諭す。説話では、貧しい家族は魅惑的(Enchant)な玉(Artifact)を自ら壊してしまう。
大伴御行は二度の裏切りを恐れて、生涯かぐや姫の家に近づかなかった。

あなたは、サイドボーディングの3分間にひどい板挟みに遭うことになる。デッキに入っているエンチャントとアーティファクトを抜いて、龍の頸の玉を代わりに入れるか?――それとも、相手がエンチャントやアーティファクトを使ってこないと信頼する?

全部で5つのジレンマ(1):What will you sacrifice for the good?

Divine Treasure Buddhist Diamond.full
随喜信仰、No.52、神宝「ブディストダイアモンド」/Divine Treasure ''Buddhist Diamond''

仏の御石の鉢。お釈迦様が生涯使用したとされる鉢で、もとは4つの鉢だったがお釈迦様が押しつぶして(・・・・・・)1つにした。ペルシャの王宮に保管されているとも言われる。
石作皇子に出題されたのは、「ハジ(恥)」についてのジレンマ。すなわち、「目的のために恥(鉢)を捨てることができますか」ということ。
「恥を捨てる」とは、現代風に言えば「プライドを捨てる」こと。なにもかも、「かなぐり捨てる」こと。
皇子は鉢を捨てても結婚を求めた。あなたは何を捨てることができる?

滅罪「正直者の死」/Forgiveness "Honest Man's Death"

随喜信仰 ,No40 滅罪「正直者の死」/Forgiveness "Honest Man's Death"
音楽CD「蓬莱人形」に掲載されている、八人の正直者のお話が基になっています。
次々と消えていく正直者は、いったい楽園にて何を得、何を失ったのでしょうか。
妖怪としての新たな生でしょうか。望んだとおりの甘い夢だったのでしょうか。それとも?

Forgiveness Honest Mans Death.full


--滑稽にも見えた「いけない旅」の終わりに、その男は重大な発見をする。残念ながらその発見が生かされることはない。なぜならそれは、その男の死をもって発見されたからだ。それを知るのは彼だけである。

輪をかけて残念なことは、命とひき換えに得たものが、生死の境で得たということから想像されること程に深淵なものではなかったことだ。要は、それを発見しなかった我々同様バカを見たのである。

ごきげんよう、おバカさん。正直にも程がある。-- (Susumu Hirasawa, Phantom Notes, 新譜世界断片高倍率拡大図1より抜粋)

失敗の運命/Fate to fail

さて、前置きが長くなりましたけど、とにかく一枚目です。
どのカードにするか悩むのが嫌だったので、ランダムに選びました。たぶんこれからもランダムです。

幻想回向,No60 失敗の運命/Fate to fail
Fate to fail.full

shige様のイラストがすべてを物語っているカードですから、付け加えて説明することもありませんね。
終わり。

という冗談は置くとしても。
パチュリーを出演させると決めたときに、紅魔館メンバーと絡ませたら面白いな、と考えたのが基です。
レミリアのわがままに振り回されるパチュリー。客人として養ってもらっている以上、あまり強い態度にも出られない。そんなパチュリーの姿をイメージしています。パチュリーは他のカードがどれも格好いいですから、ちょっと抜けたところも表現しないといけませんよね。世の中はバランスだって誰かが言ってました。
しかし、レミリアのいたずらといってもたいしたことをする必要もないでしょう。こっそり読んでいる魔導書をすり替えておくとか、込み入った魔術に集中しているところに突然声を掛けるとか。その程度で、きっと魔法を失敗させるには十分です。

すべてのものには名前がある

こんばんは。久々の更新になりますね。中の人達も一段落付いて、次の活動に取りかかりはじめています。
ところで、私たちは続けざまに300枚近くのカードをリリースしてきたのですが、それぞれのカードを繋ぐ物語については何一つ語りませんでした。それは、プレイヤーのみなさんそれぞれに、それぞれの物語を考えていただきたかったからです。物語の自由な想像を妨げたくなかったのです。
でも、第三弾が出てからちょうど一ヶ月が経ちました。もうそろそろ、私たちがどんなことを考え、どんなメッセージを込めて作品を作ったのか、話しても良いと思うのです。
私たちは、すべてのカード、すべてのキャラクター、すべてのエキスパンションに意味を込めました。それをひとつずつお話ししましょう。

ところで、本題に入る前に、大切なことをお願いしておきます。
これからお話しするのは、創造にあたって使用された物語(背景設定)です。物語はすでにぶつ切りになり、カードとして細分化されました。私たちは、プレイヤーの皆さんが細切れになった物語をデッキとして再構成し、ゲームを通して新たな物語を創り出すことを望んでいます。
私たちがこれから話す物語は、決してあなたの物語を否定するものではありません。あなたが気に入らなければ、無視することも改編することも自由です。
でも、これからお話しする物語が、萃符伝を通して幻想郷をイメージする一助になれば、とても嬉しいです。